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 太宰府天満宮 (福岡県太宰府市)    site up 2004/01/16
太宰府天満宮1
太宰府天満宮、ご存知学問の神様である菅原道真公を祀る天満宮の総本山である。九州ではダントツの参拝者数を誇り、正月、受験シーズンなどは特に賑わうことはニュース等でもご覧のことと思う。旧官幣中社。
菅原道真公は、学問を盛んにという政策であった嵯峨天皇【さがてんのう】時代の845年に、文章博士【もんじょうはかせ】と呼ばれる家系に生まれた。なんと5歳で和歌を詠み、その後も驚異的ともいえる文学の習得ぶりに、周囲の人々からは神童と呼ばれていたという。
讃岐守という地方官に任命された際には、住民の信任を集める人徳ぶりも発揮し、宇多天皇からの信任は大変厚かったという。しかし、信任が厚いほど妬む者も多いのは世の常で、醍醐天皇に変わると、当時一大勢力であった藤原家と公卿【くぎょう】の策からか、太宰府左遷となったのである。
ある日、そのときの醍醐天皇【だいごてんのう】を失脚させて、自分の娘が嫁いでいた天皇の弟である斉世親王【ときよしんのう】を天皇にしようとしている、といった所謂【いわゆる】デマが流された。藤原時平【ふじわらのときひら】一門と公卿たちが菅原道真公を追放しようとしたことと伝えられているが、計画は見事に成功し、信任厚かった当時宇多上皇の追放措置取り消しを求める訴えも届かなかった。藤原家と公卿たちの菅原道真公へ対する妬みがすごかったのである。それだけに宇多天皇に見込まれ、事実、大変な出世をしていたのであるが...
道真公は犯罪者のレッテルを貼られて太宰府へと左遷された。妻は京に置き止められ、その心中は穏やかではなかったはずだ。当時は劣悪な環境であった太宰府、菅原公はそれでも国家の平和と天皇家の安泰を祈る謹慎の日々だったという。しかし次第に体を崩し、延喜3年(903年)2月25日にこの世を去った。
太宰府天満宮2
太宰府天満宮3 太宰府天満宮4 太宰府天満宮5
県指定文化財 九州最古とされる鳥居 県指定文化財 麒麟および鷽【うそ】像 国指定文化財 志賀社
太宰府天満宮6 その後、都では菅原道真公を左遷に追いやった人々が次々に倒れるといったことが発生。宇多上皇による左遷取り消しの訴えを、天皇へ取り次がなかったという蔵人頭藤原菅根【すがね】はなんと落雷で死亡、道真を太宰府に追いやった張本人と目される、左大臣であった藤原時平は39歳の若さで急死と、都では菅原道真公の怨念の仕業と噂が流れた。その後、天皇家の誤解も解けたのか、官位も戻りなおも出世(最終的には左大臣正一位に)したことや、菅原道真公を祀った京都の北野天満宮が建立されたことなどは、恐怖を鎮めるために行われたことだろう。
こういったことから、学問の神であり人徳ある菅原道真公に強大な神力が備わっているといった印象を受けるのではないだろうか。むろん、住民の信望が厚く、慕う人が多くいたことも今日の天満宮の姿に大きく影響を与えていると思う。 今日の受験戦争では、そのご利益をと一層集まる人が増えていることもあるが…
太宰府天満宮7 太宰府天満宮8 太宰府天満宮9
手水舎【てみずや】 昭和9年建立 宝満山山腹から切り出された一枚岩 特に新年早々は多くの祈願者が...
簡単ではあるが、菅原道真公が祀られる経緯はこういった波乱に満ちている。逆にそういった争い(謀略)によって、悪の中央政府、庶民の味方菅原道真公といった風潮が庶民に広がったのではないだろうか。同様に凄く文才というか天才ではと思う聖徳太子、こちらも人々に慕われている人物でありお札になるほど超有名な方なのだが...学問の神としての第一印象は九州在住である私だからなのか、やはり菅原道真公なのである。謀略が神仏化させる主要因になるとは、当時誰も思ってなかったろうな。
よく古事記、日本書紀に登場する神々が祀られている神社が多いが、そういった点では天満宮は違う。確かに各所に慕われていた人物が神となって崇められているところはある。あじこじ九州でご紹介している神社で例を上げれば、加藤清正公を祀る加藤神社などがそうだ。加藤清正公は戦国時代の人と歴史が比較的新しいこともあるが、なんとなく我々と目線が近い感じがする。
太宰府天満宮10
太宰府天満宮11 さて、天神様という言葉はご存知と思う。漠然と天神とは神様のことを言う代名詞のようなもの、と勝手に思っていたのだ。いつ頃からかは分からないが、天神様とは菅原道真公のことをいうようになった(道真公が生まれる以前は文字通り天の神様のことらしい)。天神様と聞いて童謡が頭をよぎる方もおられるかと思うが、有名な童謡で「天神さまのお通り」がある。

その橋かけな  橋かけな  天神さまの  お通りぢゃ  お通りぢゃ

御紋は梅鉢  梅に鶯【うぐいす】  ホーヤ ホケキヨは  春のさきがけ

お伴につきな  さア つきな  天神さまの  お通りぢゃ  お通りぢゃ


これは昭和3年に野口雨情【のぐちうじょう】より発表されたものだが、野口雨情は菅原道真公を崇拝していたことからこの唄が生まれたようだ。
太宰府天満宮12 太宰府天満宮13 太宰府天満宮14
菖蒲園(写真クリックで紹介ページへ) 梅、菖蒲、あじさいと目を愉しませる 境内は広く、くつろぎの空間...
菅原道真公というと、梅がある。梅ヶ枝餅なる名物もあるが、梅は切っても切れない関係だ。文学に長けていた道真公は、中国の文化に触れる機会が多かったようだが、その中国の国花が梅ということも梅が好まれた要因だろう。日本の花は桜というのが一般的なだけに異色だったかもしれない。都の自宅で大事にしてきた梅と別れる前に歌った有名な歌が、
「こちふかば にほひおこせよ 梅の花
          あるじなしとて 春な忘れそ」

である。「梅よ春風(東風)が吹いたら、いい匂いを送っておくれ。主がいなくても春を忘れないように」というなんとも哀愁漂う歌、梅への愛着が大変深いことが分かる。
また、残された梅は大変悲しみ、想い慕うばかりに一夜にして太宰府の地に飛んだ「飛梅」として伝えられている。本殿前にある御神木「飛梅」はその伝説の木(の子孫?)である。
太宰府天満宮15
太宰府天満宮16 1100年の歴史を誇る太宰府天満宮、付近には大きな木々がある。国指定天然記念物県指定天然記念物の楠の木が、なんと50本以上もあるのだそうだ。大きいものでは推定樹齢1000年を超えるというから、太宰府天満宮が建立された当時からあるのではないだろうか。
また、このように緑豊かな環境は、「太宰府天満宮の梅林とクスノキの森」として環境省認定のかおり風景百選にも選ばれているところだ。
付近一帯には見所も多い。ゆっくりと散策すると半日、いや1日かかるかもしれない。また全国で4番目となる国立博物館「九州国立博物館」の建築も進んでおり、ますます歴史が近くなるスポットとなる。有料駐車場税では、行政と民間があの手この手の攻防で話題だが、我々が訪れやすい環境を構築して頂ければ幸いだ。道真公、お導きを...(祈願)
太宰府天満宮17 太宰府天満宮18 太宰府天満宮19
火の気大敵です 国指定天然記念物の樟(楠) 菅原道真公といえば梅、ですね

 関連リンク 太宰府天満宮ホームページ 太宰府市ホームページ
   

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