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K-00303-O0030
 高瀬石仏 (大分県大分市)    site up 2007/04/15
高瀬石仏1
磨崖仏【まがいぶつ】の宝庫、大分県。
磨崖仏とは、自然の岩壁や露岩などに彫りだされた仏像を指す。彫刻としては九州初の国宝指定を受けた臼杵石仏で知られるように磨崖仏のことを「石仏」と呼ぶこともある。

高瀬石仏【たかせせきぶつ】も同様で凝灰岩を掘り込んだ石窟の中に彫り出された形式の磨崖仏は希少とされており、大分市内で国の史跡に指定される代表的なものである。
高さ1.8m、幅4.4m、奥行1.5mで規模こそ大きいものではないが、保存状態もよく五像が彫りこまれたうえに朱色で彩られた装飾美は必見といえよう。

国指定史跡(昭和9年1月指定)
高瀬石仏2 高瀬石仏3 高瀬石仏4
大威徳明王像 胎蔵界大日如来像 如意輪観音像
【だいいとくみょうおうぞう】 【たいぞうかいだいにちにょらいぞう】 【にょいりんかんのんぞう】
高瀬石仏5 高瀬石仏6 高瀬石仏7
深沙大将像 仏像の配置 馬頭観音像
【じんじゃだいしょうぞう】     【ばとうかんのんぞう】
高瀬石仏は平安時代(794〜1185頃)中期から後期に造立【ぞうりゅう】されたものと推定されている。

場所は大分市街からおよそ8キロ、大分川支流の七瀬川沿いにある七瀬川自然公園のすぐそば。駐車場は7〜8台程度。


その他、大分市内にある国指定史跡に指定される磨崖仏は元町【もとまち】石仏がある。
高瀬石仏8

【 現地案内文 】

大分川支流七瀬川右岸の字加羅【から】に位置する高瀬石仏は、数少ない石窟【せっくつ】形式の磨崖仏【まがいぶつ】です。凝灰岩を掘り込んだ石窟は高さ1.8メートル、幅4.4メートル、奥行1.5メートルの規模で、この中に五像が彫り出されています。
中央に結跏趺坐【けっかふざ】する胎蔵界大日如来像【たいぞうかいだいにちにょらいぞう】を中心に、向かって右には如意輪観音像【にょいりんかんのんぞう】が右膝を立てた半跏【はんか】の姿で刻まれ、さらにその右には頭上に馬の頭を載せた馬頭観音像【ばとうかんのんぞう】があります。また向かって左には六つの顔、六つの手と足を持って牛の背にまたがった大威徳明王像【だいいとくみょうおうぞう】が、そしてその左にはことさら奇怪な姿をした深沙大将像【じんじゃだいしょうぞう】が彫り出されています。
とくに深沙大将像は逆立った頭髪、つり上った眉と見開いたドングリ眼に忿怒【ふんぬ】の表情を表わし、首には髑髏【どくろ】の首飾り、赤い褌【したおび】と虎皮の袴【ももひき】を身に着けています。また、両脚と左手には蛇がからみつき、腹には少女らしい顔が描かれているのも異様です。この深沙大将は中国の玄奘【げんじょう】(三蔵法師)が仏典を求めてインドを往復した時、砂漠に現われて守護した鬼神といわれます。異様な姿に表現されているのはこのためですが、腹部の人面は内に優しい気持を持っていることを表現したものです。高瀬石仏は平安時代後期、12世紀後半の制作と推定されており、県下の磨崖仏を代表する作品として貴重なものです。
なお、石窟手前の崖面には小さな龕【がん】があり、そこには一本の蓮の茎から三つに枝分かれした蓮華の上に、阿弥陀三尊仏の安坐する姿が彫り出されています。こうした一根三茎仏【いっこんさんけいぶつ】は、7世紀後半の白鳳【はくほう】時代に盛んな造仏形式でしたが、この地方では平安時代後期まで造られていたことがわかります。

高瀬石仏9 高瀬石仏10 高瀬石仏11
周囲の様子、右手岩壁に高瀬石仏 入口、狭い路地を歩いてわずか 七瀬川自然公園
 関連リンク 大分市ホームページ 大分市観光協会ホームページ

   
地図はこちらから⇒  Mapfan地図へ がおおよその位置になります。
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