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K-00308-N0026
 出津教会  (長崎県長崎市:旧 西彼杵郡外海町)    site up 2008/01/11
出津教会1
大村純忠【おおむらすみただ】(1533-1587)という人物が日本で最初のキリシタン大名であったということ、その領土が肥前国彼杵【そのぎ】地方(おおまか現在の長崎県南部)であったということを知れば、古くから長崎にキリシタンが多かったであろうということは容易に理解できる。

マルク・マリー・ド・ロ、...フランス人宣教師で「大浦天主堂の信徒発見(1865)」で知られるプチジャン神父と共に1868年に布教のため来日した。この時、彼が28歳であった。

この出津【しつ】教会の建つ外海町にド・ロ神父が司祭として着任したのはそれから11年後(明治12年)の事である。
ド・ロ神父は、キリスト教の布教活動のみならず建築や土木、医療、教育など様々な産業や文化を外海の人々へ教え、地域の社会福祉に大きく貢献した司祭として広く知られている。

この出津教会もド・ロ神父の設計・施工によって建造されたもので明治14年に着工され、翌15年(1882)に完成している。
その後2回の増築がなされ現在の姿となっているが共にド・ロ神父の手によるものでその文化価値は高いものと言えよう。

昭和47年(1972)2月に県の有形文化財に登録されているが、ド・ロ神父の社会福祉事業に関連する遺跡として周辺の旧出津救助院や大野教会とともにその価値が高く評価され世界遺産の暫定一覧表へ登録された長崎の教会群とキリスト教関連遺産の1つとなっている。
出津教会2
出津教会3 出津教会4 出津教会5
  綺麗な白と黒の瓦葺  
出津教会6
外観は白と黒の瓦葺の屋根が他の教会には見られないもので美しく、印象的である。また、両端に双塔を有するのも珍しい外観である。

内部は3廊式の漆喰塗平天井のシンプルな造りである。程近くにありド・ロ神父の指導よって建造された黒崎教会はコーモリ天井であるが、出津教会は高台の立地であるため風当たりを考慮し屋根高を抑えたため平天井にせざるを得なかったのであろう。


内部は一般に公開されているが、週末にはミサが行われている時間があるので十分に配慮のうえ見学されたい。
大正3年(1914) ド・ロ神父は74歳にして大浦天主堂で逝去されたが、カトリック信徒だけに留まらない外海地方の人々への多大なる功績を残し自らの故郷フランスへは一度の帰郷すらしなかったのだという...。


その他周辺には国の重要文化財に指定された旧出津救助院、ド・ロ神父記念館などの遺構や外海歴史民俗資料館、子ども博物館などの学習施設が密集しており総称して出津文化村と呼ばれている。
また、文化村の入口にはここ外海を舞台に描かれた遠藤周作の小説「沈黙」にちなみ建立された石碑があり、碑の向うの高台には「遠藤周作文学館」もあるのでぜひ立寄られたい。
出津教会7
出津教会8 出津教会9 出津教会10
ド・ロ神父記念館と
旧出津救助院跡前のド・ロ神父銅像
沈黙の碑
背後の高台に小さく見える遠藤周作文学館
外海歴史民俗資料館

【 現地案内文 】

出津教会は、明治十二年に外海地区の司祭として赴任した、フランス人のマルコ・マリ・ド・ロ神父により設計・施工された教会です。
 明治十四年、建築に着工され、翌十五年完成しました。この時の教会は、レンガ造りの壁面で、内部は漆喰塗り、木造桟瓦葺き寄棟造り、内部は三廊式平天井でした。
 明治二十四年、増築、祭壇部に塔を建て、屋根は祭壇部が切妻造り、玄関部は寄棟造りとなります。
 明治四十二年、玄関部を拡張し、鐘塔を建てました。玄関部は、鉄骨造りで、周囲をレンガで囲み、白漆喰に仕上げています。外部は、モルタル塗装、屋根は切妻になりました。内部は、六本づつの柱列が二列に並び、身廊部と左右の側廊とに分けて三廊式になっています。天井は、台風の被害を少なくするために平天井としています。

教会の規模
 全長37m、幅11m、軒高3.5m 塔の高さ5.8m、祭壇部の塔の高さ5.5m
 この教会は、明治初期の建造物であり、建造から二回の増築までド・ロ神父の設計施工によるところに大きな意義があり、各所にド・ロ神父独特の手法が見られます。ド・ロ神父の偉業の一つであることなど文化財としての価値が高い教会です。
 関連リンク 長崎市ホームページ あっ!とながさき・外海地区ページ

   
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