正確には旧大浦天主堂であり、国宝(旧)大浦天主堂は観光客が増加し司牧【しぼく】のためには不都合となったため、隣接して新・大浦天主堂が建立されている(地下1・2階を土産品店やレストランとして観光センターになっている←ここらへんは現代風ですよね)。
また、名称においても「日本26聖殉教者聖堂」が正式である。
ご存知の方も多いと思うが、名の由来であるその歴史に少しふれてみたいと思う。
大浦天主堂が建立された1864年から遡ること1596年10月、土佐浦戸に漂着したスペイン船サン・フェリッペ号の乗組員がキリスト教の伝道によって領土が拡張しそれを誇ったことに憤慨した豊臣秀吉は、一旦は宣教活動を許したペドロ・バウチスタ神父を含む24人を京都・大阪で引き廻したうえ、同行のものを含む26人をここ長崎の地ではりつけの刑に処したという何とも痛ましい事件があった。
大浦天主堂は、その処刑が行なわれたという「西坂の丘」に向けて建てられたので「日本26聖殉教者聖堂」と名付けられたのである。現在の西坂の丘は、殉教記念碑・二十六聖人記念館・記念礼拝堂などが整備され公園化されている。
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