あじこじTOPへ
お買物厳選リンク あじこじTOPへ 県TOPへ
K-00178-N0017
 黒崎砲台跡 (長崎県壱岐市郷ノ浦町)    site up 2004/01/24
黒崎砲台1
壱岐のメジャー観光スポット「猿岩」のすぐ近くには、戦争時代の遺跡ともいうべき砲台跡「黒崎砲台跡」がある。もちろん、跡というだけあって本物の砲台はすでに解体されてないが、海が見える小高い山(丘?)をくりぬき、洞窟にして要塞化してある。設置された砲台は、戦艦「土佐」に搭載されていた主砲。なぜ戦艦の主砲が?とお思いになるだろう。
明治維新以降、富国強兵を推し進め海軍増強に努める日本、他主要国も他国に負けじと軍備増強を進める中、各国の財政は切迫していく。そこで1922年(大正11年)のワシントン軍縮会議では、米、英、日の主力艦の所有率を「5:5:3」とすることで調整、それに合わせ主力艦を廃棄することとなる。その頃建造中だったのが戦艦「土佐」である。当時世界最大の戦艦であった「長門型」よりさらに大きな最新鋭戦艦として建造中であったが、軍縮の取り決めにより実験標的として沈められた。
黒崎砲台3 黒崎砲台4 黒崎砲台5
入口の様子、道路からすぐ 照明少なく、水滴が落ちる音が... ど、どなたもおられませんよねぇ..
本来主砲も解体されなければならないところだろうが、戦艦「土佐」はまだしも主砲だけは、となんとか隠して保管し再び活躍の場が与えられたといったところ。ここ黒崎砲台は昭和8年に完成。
主砲について詳細は後述するが、放たれる砲弾は射程距離35kmと信じられない飛距離。現代のハイテクミサイルのように目標を自動補足・追尾するものではないので、35kmともなれば着弾点の誤差はそれなりに大きいものと思われるが、命中精度はともかく、近くを通る船には脅威であることに違いはない。ただし実際には使用されることなく、昭和25年には本当に解体されてしまったそうだ。主砲として生まれたが実戦で活躍できず、誤解を恐れず言えば不運な砲門である(もちろん火を吹かないことは良いことである)。また話を戻せば、やはり戦艦「土佐」も不運である。後に、「土佐」で培われた建造技術が巨大戦艦「大和」に受け継がれるのだが...その船もご存知のように不運と言えるかな。
長門型が全長約210メートルで排水量32,720t、加賀型であった「土佐」は全長約260メートルで39,990tにて計画されていた。ちなみにタイタニックが46,328t(総トン数)でこれはさすがに大きいが、現在日本が誇る豪華客船「飛鳥」は28,856t(総トン数)であるから、土佐の大きさはかなりのものとご想像頂けると思う。
黒崎砲台2
黒崎砲台6 ここ黒崎砲台跡の洞窟は自由に見学ができる。照明は暗め、いやかなり暗くひんやりとしていて臆病者の私には少々怖い。それに猿岩の駐車場では、とある女性ご一行より「砲台跡の方、幽霊が出るらしいわよ」「ええぇーっ」なんて話を聞いたあとでは余計恐怖心が助長されるというものである。本当のところはどうだか分からないが、ま、結果的にはそういう霊的な御仁にはお会いしていないし(霊感も皆無だが)、写真でも確認できなかったのでホッとしている(笑) ま、大丈夫そうである。

黒崎砲台跡の案内板より


砲身の全長

18m 

砲身1本の重さ

150t 
砲の口径 40cm
弾丸の直径 40cm
弾丸の重量 1000kg
射程距離 35km
砲台が設置されていた部分は、ぽっかりと穴が空いていて光がこぼれている。そのすぐ脇にも比較すると小さいが穴が造られている。どちらもコンクリートで作られており、今ではかなり痛みも見受けられるが、巨大な砲台をささえるのだからかなりの強度を求められたに違いない。砲台は普段はこの地下に隠し、必要時に大きな穴をエレベーターのように移動して、地表へ出現する構造だったようで、まさに地下要塞である。先述のようなとんでもない飛距離から東洋一の砲台と呼ばれていたようである。猿岩へ通じる道路に入口があるが、反対側へも通路が伸びる。出ると山道があって海の方へも降りていけるが、こちらの出入口への通路はなぜか照明がない。ライト持参をお奨めする。
要塞として利用された当時は、住民はこの付近への立ち入りは禁止されていたという。ということは「猿岩」も見学できなかったのである。今は両方見学OK、喜ばしいね。
黒崎砲台2
黒崎砲台3 黒崎砲台4 黒崎砲台5
反対側の出入口 そこには山道(?)が伸びていて 海まで降りることができます
 関連リンク 壱岐市ホームページ 壱岐観光協会ホームページ
   

地図はこちらから⇒  Mapfan地図へ がおおよその位置になります。
お買物厳選リンク あじこじTOPへ 県TOPへ
K-00178-N0017
九州の情報はここでチェック!   あじこじ九州TOPへ