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 轟水源【とどろきすいげん】 (熊本県宇土市)    site up 2003/09/22
轟水源1
環境庁が選定した日本の名水100選は、水質が良いことも去ることながら、いかに地域に関わりが深いか、また地元住民によって大事にされているか、といったことも重要な選定要因であるようだが、ここ轟水源もまさに地域と密接に関わりあっている名水のひとつである。
場所は、国道3号線と57号線の交わる交差点から57号線を天草方向へ、すぐに宇土市街地入口の交差点があるので左折して道なりに進む。道は市内を抜け次第に住宅地へと入っていく。途中から道も2車線ではなくなり生活道路となるわけだが、ちょっと分かりにくいやや小ぶりな青い標識に従えば水源へと導かれる。車で5分ほどだろうか、小高い山が近づいてきた道路前方左側に、水の広場(広くはないけど)らしき姿が姿を見せる。轟水源である。
駐車場は水源手前右側と、水源奥に2箇所用意されている。トイレも完備。
轟水源2 轟水源3 轟水源4
看板 看板◆並召砲眇鐔蠅砲△襦 水源は前方山の麓
ここ轟水源、白川水源や竹崎水源(ともに熊本県白水村)のようにものすごい水量を誇る、といった水源ではない。
湧水量は1日に3000トン、白川水源が1日に9万トン弱を湧出しているのに比べると、やや物足りない感じである。事実、水源池は静かに佇んでいる。湧き出す水が勢い良く流れ出す迫力の水流音はない。
綺麗な水(もちろんか)だが、甘味があるとされる水質も原則的には煮沸してから飲むよう薦めてある。その点では引き合いに出して恐縮だが、白川水源のその場で煮沸なしに飲める点には少々譲る点があるのは事実である。
だがしかし、である。他の水源と少々異なり歴史的な遺産を残しているという大きなアドバンテージがここ轟水源には存在する。このことだけで轟水源に対するまなざしに温かみが出るというもの。環境庁もそりゃあ選定するでしょ、なのである。
轟水源5
轟水源6 轟水源7 轟水源8
湧水ポイントは柵の奥 水神さんでしょうか 子供の遊び場(水てっぽう)
轟水源9 一芸に秀でるというのか、他の水源では追従できないそれは...300年以上も利用され続けている江戸時代からの上水道が、ここ轟水源を源として宇土の街に向けて整備されているからだ。ご存知の方には有名なことかもしれないが、名水100選という言葉につられて、ぶらり観光または水汲みに訪れた方にとってこのことはご存知だろうか。ちなみに私はお叱りを受けそうなぐらい行き当たりばったりなので、もちろん現地でこのことを知った次第である。これによって、轟水源への眼差しの色が変わったことは言うまでもない。
上水道を整備したのは、宇土を管理する細川支藩(3万石)。その二代細川行孝公が宇土の町までの4.8kmに水道管を敷設したのが始まりである。当初は、焼き物による管(陶管)を連結して埋設してあったようだ。陶管は、直径20cm、長さ43cmの円筒型であったが、ご存知のように陶器は割れ易い。そこで、直線距離3kmの高低差を平均して勾配をとって敷設とするなど注意が払われているが、当時の測量と土木技術では困難を極めたに違いない工事だ。
写真は水道水の取水口である。手前の方へと敷設されているのが次に紹介する馬門石(凝灰岩の一種)の水道管だろう。
陶管敷設から100年後、さすがに陶管も痛み破損に水漏れが頻発するようになった。そこで、当時納めていた6代細川興文公が改修工事に着手。改修といっても大規模なもので、陶管から細川藩内網津村産の馬門石をU字に加工した上に蓋を置くという、今でいう側溝のような形へと移行したのである。新設と変わらない程の工事である。また、陶管のときは、焼き物だけに接合部分はうまく重なり合うように加工できたが、今回はそうはいかない。現在の側溝の連結にはコンクリート類が使用されると思うが、当時は赤土、貝灰、塩、松葉汁をつき固めた「ガンゼキ」と言われる接着材を使用している。しかし、いったいどう考えればこのような混合方法が生まれるのか、大変な知恵である。ちなみにこのガンゼキは現代科学でも実証されており、水中作業が容易な上、粘着力と防水力に優れ、なおかつ年数が経つに従って強度が増すといういいことづくめ。もちろん天然素材だからいうことなし。 轟水源10
轟水源11 資料によると、上水道は、宇土城を過ぎたところから数本の支管に分かれ、士族(武家の家柄)の住む「御家中屋敷」や町人の住む町内などに導かれている。各士族の館にはそれぞれ井戸が整備されていて、直接水道管(樋管【とうかん】)がひかれている。そして井戸の大きさは士族の禄高の等級によって分かれていたというところは、さすがは封建時代と思わせる。偉くなると井戸の大きさは直径1m、足軽などでは直径60cmといった具合だそうだ。その差は40cmと、感覚的にはあまり不都合ない差のように見える(笑)
町人は、町内ごとに造られた井戸を共同で利用していたようだ。時代劇でよく奥様方が井戸端会議をやっているシーンを多々見受けるが、あんな感じだろう。
当時は水道料金は無料であったと推測されている。今の公共事業では考えられない藩の粋な計らいである。やるね、細川藩。
今は、轟泉簡易水道組合が約120軒に対し水道水を提供している。江戸時代からの水道設備が今なお地元の人に大切に利用されているのだ。これはすごいことである。鹿児島の霧島山麓丸池湧水も、全町民の水道水を補っていて町民に大事にされている水源であるが、ここ轟水源は江戸時代から続く水道設備とそれを守る人々、これを知ってこそ轟水源の魅力が分かるものだ。
轟泉簡易水道組合の方が定期的に水源を掃除されているようだ。水源地は木々が茂り、人が立ち入らないように囲ってある。
水道水として取水され、残る湧水は一般用または灌漑用へと流れている。チョロチョロとは失礼ながら、一般者用の取水場にはそんな感じで清水が水源地から落ちてくる。流れ出したすぐのところでは、冷たい水の中、水遊びができるちょっとした広場があっていかにも水源らしい。水温16度ぐらいの水遊びは、夏場でなければ少々寒いだろう。
轟水源12
轟水源13 水源横には水源地の一本杉と呼ばれる杉が立っているが、落雷だろうか途中から折れている。今は大きく育とうとする枝が緑を携えて天へ伸びようとしているところ。平安時代からあるご神木とされる樹齢約千年の大スギである。
水源の奥には、宇土市大太鼓収蔵館があってなにやら大きな太鼓が展示されている模様(入館料100円平成15年9月現在)。またその奥には細川家の菩提寺などがあった轟御殿と呼ばれる一角があり、代々藩主の廟所【びょうしょ】(墓所)もある。奥まったところには、轟泉資料館(見学無料)があり、こじんまりとした資料館ながら上の写真で紹介した水道管などはこちらで見ることができお勧め。他細川家の歴史も紹介されている。

他の著名な湧水群と比べると水量では見劣りする。これは事実だ。滝のように勢いよく流れ出る清流という光景は見られない。しかし、水が人々の暮らしにこんなにも自然に溶け込んでいる水源となると、歴史的にも大きな遺産がここにはある。派手さはないが知るほどに味がある(?)。昔から肥後3名泉のひとつとして知名度高いだけに、資質十分、もちろん名水100選に指定されるはずである。
轟水源14 轟水源15 轟水源16
宇土市大太鼓収蔵館 外観 轟泉【ごうせん】資料館 轟泉資料館付近は公園化されている

 関連リンク 宇土市ホームページ  
   

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