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K-00186-H0053
 古小代の里公園  (熊本県玉名郡南関町)    site up 2004/02/24
古小代の里1
九州各地に陶器の里がある。有名どころは有田や小石原などであるが、小岱山【しょうだいさん】(標高501m:筒ヶ岳)の北側麓にある南関町のこの地でも、江戸時代は大変盛んに陶器が焼かれていたそうである。現在でも南関のこの地を始め、小岱山一帯では窯元が点在している陶器の里なのである。
県道3号線から少し山手に入ったところにある古小代【こしょうだい】の里公園へ向かう。小岱山の麓で小代焼とは、いやいやなんとも漢字は難しい。てっきり小岱焼と思うよね。秋吉台の秋芳洞のようなものか(九州外の例で申し訳ない)。公園に近づくとレンガ色の瓦を乗せた建物が見えてきたが、その大きな建物の屋根はかなり傾斜している様子である。到着するとそれは登り窯跡が保存されている建物であった。公園には駐車場が30台分ほど用意してあり、休憩施設やトイレもあって静かな雰囲気である。
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瀬上窯跡の遠景 静かな公園風景 連房式登り窯(9室)は...
資料によると、小代焼は江戸時代の寛永9年(1632年)に細川氏が肥後藩に入国した際に、一緒に豊前の上野【あがの】から従えてきた焼物師によって始められた。焼き始められた時期は定かではないようだが、正保元年(1644年)には、藩から年貢不要の田畑を拝領しているというから、その頃に御用焼物師を拝命したのではと考えられている。つまりはその頃にはどんどん小代焼が焼かれていたということだろう。
古小代の里公園には、窯跡が2つある。公園敷地内に2つとは言えないが、駐車場からすぐのところに1つ、300mほど山手に進んだところに1つである。
早速、駐車場からすぐの窯跡へと足を運ぶ。モコモコとした丸い膨らみをもった焼室【しょうしつ】が、合計9室も連なっている連房式【れんぼうしき】登り窯の「瀬上窯【せのうえがま】跡」である。これなら一気に大量の陶器を焼ける。
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古小代の里6 瀬上窯は、次第に生産量が少なくなっていく小代焼を復活させようと、当時産業振興を図っていた肥後藩の政策により、南関手永御山支配役であった瀬上林右衛門義明が自ら窯元となり築窯【ちくよう】している。当時も有田焼などは旺盛に生産されていたのだろう、そういった焼物が肥後藩に流入してその代金が流出するのを避ける為に自国生産を目指したものと思われる。
瀬上窯は天保7年(1830年)に築窯された。瀬上窯跡では、窯跡とろくろ場跡、水漉し場【みずこしば】の跡も見つかっており、このように作業場跡まで確認できる窯跡は全国的にも大変稀であるという。熊本県指定重要文化財
なかなか盛大に陶器生産がされていたようだ。古文書によると工房は2階建で、1階土間には横一列にろくろが8台、釉薬【ゆうやく】(うわぐすりのこと)の槽【うけ】(容器)も設置されていたようだ。また2階は陶器の保管庫であったらしく専用の出入口も確認されている。
筑前、筑後から多数の細工人を雇い入れて大量生産体制を整え、あらゆる種類の陶器を焼いていたというから、その生産規模を窺い知れる。生産された陶器は、肥後藩の役所を通じて熊本の茶碗屋に卸されていて、築窯から幕末まで盛んに生産されていた。
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水漉し場、水簸槽【すいひそう】の跡 綺麗に石組みされた焼室 焼室内部
さて次は案内板にある「瓶焼窯【かめやきがま】跡」を目指す。瀬上窯からは300mほど山手にあるらしい。ただし道路があって車で行けるようなので車で向かうことにした。だが道はホント生活道路といった感じで狭く車の離合は難しい。また目指す瓶焼窯の近くにも駐車するスペースはほとんどない。ということから、賢明な皆さんには公園駐車場から、運動不足解消の為(笑)にも歩いて瓶焼窯を見学された方が良いとお勧めしておく。
さて、瓶焼窯である。先ほどの瀬上窯よりも古くこちらが小代焼が始まったところとされる。ただし、焼室が6室である現在の瓶窯焼跡より下層には、5室の焼室を持つ窯跡が確認されている。現存しているのは明和6年(1769年)に築窯されたとされているが、それでも十分な時間を経過している。瀬上窯の石を積み上げた外観とは違い、粘土で固められているような雰囲気である。こちらも熊本県指定重要文化財となっている。
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傾斜が急な瓶焼窯 6室の連房式登り窯 表面は石組みには見えない
また瀬上窯に比べ瓶焼窯は勾配が急である。素人考えでは、勾配がきつい方が熱効率が良いように感じるが、微妙な温度調節等を考えればそうとは言えないのかもしれない。
300mほどしか離れていないこの2つの窯であるが、焼物の材料である陶土【とうど】は異なるそうだ。瓶焼窯では、付近の土が使われたのではとされているが、瀬上窯の陶土は小岱山の西麓から馬に乗せて運んでいたと伝えられている。
公園内には、梅の木が植えられていて3月中旬には「陶器・梅まつり」が行われる。主に熊本県玉名郡の窯元による陶器展示販売や、その他イベントでかなり賑わうようだ。
それにしても最初に陶器を造り出したのはどういったきっかけなのだろう。石器時代までその歴史はさかのぼるようだが、食料を入れる容器としては現代でも最も安全な部類だろう。基本的に環境ホルモンなどとも無縁だし。文化は偉大であるね。
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休憩室に展示される出土品 休憩室にあった以前の瀬上窯の様子 シーズン中は観梅も愉しめる
 関連リンク 南関町ホームページ  
   

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