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 鞠智城 【きくちじょう】  (熊本県山鹿市菊鹿町)    site up 2003/04/17
これはどこだ? そう思われた方も多いのではないでしょうか。どこか吉野ヶ里遺跡を想像するのは私だけではないでしょう。
鞠智城【きくちじょう・くくちじょう】
吉野ヶ里遺跡は弥生時代(西暦200年位)のものですが、鞠智城は西暦660年頃、大和朝廷が日本を治めていた時代に、朝鮮半島からの侵攻に備えて作られた古代山城です。

当時朝鮮半島には、百済、新羅、高句麗という3つの国がありましたが、660年、日本と友好関係にあった百済が、中国を支配する唐と新羅の連合軍に攻め込まれました。救援を求めらた日本は援軍を送りましたが663年、白江村【はくすきのえ】にて大敗してしまいます。
このことが元で、鞠智城は誕生します。

鞠智城のシンボルとなる「八角形建物」です。鼓楼【ころう】と呼ばれ、役割としては最上階に太鼓を置いて連絡等を行っていたと考えられています。
高さ:15.9m  最大幅:8.2m
1層目の柱数は48本、2層、3層目には16本の柱にて支えられる、太鼓を置くための立派な太古建造物です(苦笑)。

おっと引き続き歴史背景に戻りましょう。
日本は考えました、百済が攻め滅ぼされた今、日本まで唐、新羅連合軍が攻め込んでくるのではないか。慌てふためく大臣らを前に(編集注:憶測です)、時の天智天皇は防備を怠りませんでした。博多湾近くにあった朝廷機関「那津官家【なのつみやけ】」を防備のため大宰府に移します。これが大宰府の始まりと考えられています。またその大宰府を守るため、百済の亡命者による築城技術を組み入れ、要所に山城を築きました。大野城(福岡県)、基肄城【きいじょう】(佐賀県)、金田城(長崎県)が造られ、ここ鞠智城はこれらの城への食料、武器、兵士の補給支援基地とみられています。


米の保管場所とされる建物です。高床式・校倉造り・ねずみ返しと当時の米倉の特徴を兼ね備えています。規模としては
間口7.2m、奥行き9.6m、屋根は瓦葺き
であったとされています。三角形の建築材を組み合せて外壁とする校倉造りは、奈良の正倉院と同じものですね。
計算上この米倉には1200俵が保管できたそうです。

復元されているのが米倉としてはこの1棟だけですが、当時は複数棟あったようです。でないと3山城への補給基地としては心もとないでしょ。

兵舎です。防人【さきもり】達が寝起きしていた建物です。
間口8.0m、奥行き26.6m、土間面積213.6
屋根までの高さ6.3m
板葺き屋根で、3枚の厚板を重ね合わせられていたようです。

しかし復元とはいってもよく当時の様子がわかるものです。屋根の板材なども発掘されたのでしょうか? 素人考えながら不思議に思うところですが、当時をいろんな角度から検討した上で、それまで積み重ねられた知識をひも解き推測(適切表現か?)、そして導き出される答え、理数系とはまた違う深い奥行きが考古学の真髄でしょうか。
屋根は板か藁のはず、それは瓦が出土しなかったから。ここまでは私でも推測できますけどね(笑)

掘立柱建物跡に復元された高床式倉庫です。
面積83.78
屋根の高さ9.0m、床の高さ1.5m

建物の配置から、正史に記述された「兵子(武器庫)」とみられています。

刀などの武器の出土はないようですが、当時の戦いは歩兵戦が中心で、太刀や弓矢、矛などをもって戦っていたようです。上級兵士(将)は小さな鉄の板を閉じ合わせた鎧(挂甲【けいこう】)を身に付けていたようです。

温故創生館

平成14年4月にオープンした施設で、鞠智城とその時代を展示品と映像(復元様子やミニ映画)で紹介している施設です。また2階の休憩室からは鞠智城跡を一望できます。

時間の都合上、私は見ることができませんでしたが、根津甚八さん主演の、鞠智城当時の様子を再現したミニ映画もあります。係りの方に伝えると愛想良く準備してもらえますから、訪問の際には是非ご覧ください。ちなみに私は八角形建物の復元の様子を拝見、建物内部の様子を見ては「は、柱しかないじゃん!」と驚きの声をもらしてしまいました。

温故創生館内部にはいろいろな資料や模型が展示してあります。

これが八角形建物の内部模型。これだけ柱があれば、内部で何か作業をしていたとは思えませんね。書類は広げられそうになくそれ以前に大変暗そう。明かりとして蝋燭【ろうそく】立てようものなら、ちょっとした不注意で火事になりそう(編集注:そうか?)
いや、もっと驚くべきことが。この内部から推測して階段はどこ?2階に行けるの?という疑問。太鼓を叩きにはどうやって登るのでしょう...

鞠智城にまつわるいろいろな昔話も残されています。
「米原長者」「穂かけ孫六どん」「長者どんの宝くらべ」が紹介してあります。詳しくは是非温故創生館へ(笑)

当時の生活用具や武具などが分かりやすく展示してあります。

古代をしのぶ鞠智城のシンボル
「鞠智城温故創生之碑」

じっくり観てまわると、歴史価値が大変高い鞠智城跡。復元建物は現在4棟ながら、実際当時はまだまだ多くの建物が立ち並んでいた様子。そんな中、工事が行われていたので次なる建造物復元か?と思いきや展望台建設中とのこと。思い込みのせいかもしれませんが、もっと町並みを再現しようぜっ!という気持ちに。なかなか復元費用が捻出できないのでしょうが、もう数棟復元できれば集客力も増すと思いますがいかがでしょう。
1300年前の遺跡で、大宰府とこの地が密接に関わっていたという事実とその価値、このままではもったいない。
「鞠智城って知ってる?」
「あの温泉や水源で有名な菊池にお城?あったかねぇ...(編集注:確かに別の菊池城跡はあるみたい)
という感じで知名度はいまひとつ(編集注:あくまでも推測)
これではいかん、もっと知ってもらおう。「あじこじ九州」地域再発見ですよ。
 関連リンク 山鹿市ホームページ  
   

地図はこちらから⇒  がおおよその位置になります。
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