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K-00250-H0074
 崎津天主堂 (熊本県天草市河浦町)    site up 2005/1/6
崎津天主堂1
天草下島の南部、東シナ海側にぽっかりと口を開ける羊角湾【ようかくわん】。
ご紹介する崎津天主堂【さきつてんしゅどう】は、この羊角湾に面した小さな漁村にその尖塔を突き出している。

車で程近い大江天主堂の丘の上に真っ白くシンボリックにあるその様とは一変し、崎津天主堂はひなびた漁村の民家が密集する中にあるが、不思議な調和を感じさせるのが印象的であり、日本のなかでも希少な風景が見られるところが最大の魅力であろう。

複雑に入りくんだ湾に山の迫る美しい羊角湾とその風景は「キリシタンの里 崎津」として日本の渚100選やかおり風景100選【環境省】に選定されている。
この天主堂の設計も大江天主堂同様、教会建築の第一人者、故・鉄川与助【てつかわよすけ】氏である。 教会堂建築に主に見られるゴシック風(編集注:ヨーロッパ中世の美術様式)で昭和9年(1934)に建造されている。

キリスト教禁制の高札撤廃がされた明治6年(1873)以来、崎津天主堂は最初に御堂として建立されて現在のものが3代目となる。
鉄川与助氏の手による鉄筋コンクリート造の教会は全部で4件あり、この崎津天主堂もそのうちの1つに入る。正確にはファサード(正面)側がコンクリート造で後部は木造である。内部は教会建築では大変珍しい畳敷きとなっている。(内部の撮影は禁止)

崎津天主堂2
崎津天主堂3 ここ崎津にキリスト教が伝道されたのは、天草下島の北部にある志岐(現、苓北町)にキリスト教が伝道された3年後の1569年のことである。 島原や天草でキリスト教を最初に布教したルイス・デ・アルメイダ氏によるものでる。
ちなみにアルメイダ氏は外科医でもあり、豊後府内(現、大分市)で孤児院や日本で最初の病院を造ったり、医学教育を行うなどして日本における西洋医学の祖としても知られている。氏は羊角湾の崎津より奥に位置する河内浦(現、河浦町)で1583年に没している。

その1年前に起った本能寺の変(1582)によって織田信長が没し、日本での献身的なアルメイダ氏の想いを裏切るようにキリシタンにとって暗く長い歴史を迎えることとなる。
豊臣秀吉による切支丹【キリシタン】禁教令(1587)が発布されたことを皮切りに徳川幕府による厳しい弾圧が250年以上も続いたのである。
迫害時代、教会内部の祭壇のある場所では毎年厳しい踏絵が行われていたそうである。
崎津天主堂4 崎津天主堂5 崎津天主堂6
民家のならぶ細い路地から望む 細かい装飾、匠の技ですね。 後部は木造です
現在の崎津天主堂を改築したのはフランス人のハルプ神父である。ハルプ神父は昭和3年(1928)12月に司祭として着任して以来、布教と教会の建立に献身し、昭和20年(1945)1月、81歳で永眠した。ハルプ神父のお墓は、崎津天主堂の観光駐車場脇に建てられいる。

また、天主堂から見上げる丘の上にはチャペルの鐘展望公園が整備されており、羊角湾と東シナ海の眺望を望むことができるので併せて訪れたい。
その他、同町には天草キリシタンの歴史を紹介する「天草コレジヨ館」があり、詳しく知りたい方はこちらまで。
崎津天主堂7
崎津天主堂8 崎津天主堂9 崎津天主堂10
ハルプ神父の墓 天主堂脇にある小さな史料館 丘の上、鐘展望公園のモニュメント
崎津天主堂11 イベントは毎年8月第一土曜日「教会の見える崎津みなとのフェスティバル」と題し行われ、舞踊や世界平和祈願祭など地元住民と観客が一緒になって平和を祈願したり、教会のライトアップやフィナーレには1000発の花火が来訪者を楽しませてくれる。

天草の奥深き場所、キリシタン文化を今に伝えるここの風景に魅了された方も多いことだろう。アクセスは熊本市内から車で3時間程、短時間で訪れたい方は福岡や熊本から飛行機を利用する手段もある。

 関連リンク 天草市ホームページ 天草宝島観光協会・河浦支部ホームページ
   

地図はこちらから⇒  Mapfan地図へ がおおよその位置になります。
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