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 香椎宮 【かしいぐう】 (福岡県福岡市東区)    site up 2004/03/31
香椎宮1
八幡宮に祀られる応神天皇の両親となる、仲哀天皇【ちゅうあいてんのう】神功皇后【じんぐうこうごう】が祭神として祀られる香椎宮。仲哀天皇は熊襲【くまそ】平定に訪れこの地に仮宮を置いた。熊襲平定を急ぎたい仲哀天皇と新羅【しらぎ】(朝鮮半島にあった国)征伐を急務と考えた神功皇后との方針調整中に仲哀天皇は崩御【ほうぎょ】された。また神功皇后も活躍の後に崩御...。後の聖武天皇時代の神亀【じんき】元年(724)に社殿を造営、二人を祀ったこの地は香椎廟【かしいびょう】と呼ばれ、明治時代より官幣大社香椎宮、戦後香椎宮と呼ばれて現在に至る。
現在の建物は、享和【きょうわ】元年(1801)に筑前藩主である黒田斉清【くろだなりきよ】が再建したもので、ここだけの様式である香椎造は国の重要文化財に指定。楼門は質素な色合いだが、社殿全体のイメージは鮮やかだ。
香椎宮2 香椎宮3 香椎宮4
県道24号線からの様子 楼門前の太鼓橋はなんと立体交差 楼門扉には大きな紋章
付近には末社や関係する社が多数存在し、また歴史あるお宮ならではの緑深い静かな雰囲気も持ち合わせる。さすがは旧・官幣大社に列せられるだけのことはある。伊勢神宮、石清水八幡宮、遠石【といし】八幡宮とともに皇室の崇敬【すうけい】が厚い本朝四所の一つにも数えられる。
国道3号線香椎駅近くから、内陸へ向かって両脇に木が生い茂る参道(県道24号)が伸びる。国道3号線から1km程度だろうか、並木が途切れた付近左手が香椎宮である。池があり菖蒲の季節には彩りが添えられるだろう。楼門前の境内は広く、訪れた日も多くの人々がくつろぎの空間を享受【きょうじゅ】していた。
楼門前には太鼓橋(弧は緩いが)があって、通常は池にかかっていて泳ぐ鯉へエサを与える光景が思い浮かぶところだが、太鼓橋の下は道路である。池をわざわざ道路にはしないだろうから昔から立体交差だったのだろう。少々不思議な光景である。
香椎宮5
香椎宮6 立派な楼門の扉には菊の紋章。もちろん、天皇を祀ってあるのでね。楼門を潜る左右の格子の中には、よく仁王像などをお見受けするところだが、香椎宮の楼門内には不在のようだった。補修中かどうかは不明であるが...
楼門を潜ると、前方左手に朱色の建物が見える。また正面には大きな杉があり、これが御神木の「綾杉」である。大枝(幹かな)の一つはS字をかくように伸びており特徴となっているように思う。なんと西暦200年に神功皇后自らが植えられたという御神木で、新古今和歌集に「ちはやふる香椎の宮のあや杉は神のみそきにたてる成けり」と詠まれ、また夏目漱石も「秋立つや千早ぶる世の杉ありて」と句を残した老木である。
狛犬がまた変わっている。アンバランスなほど頭部が小さいが、逆に前足は大きく太い。神様の守りとして従う狛犬であるが、ここの狛犬は牙より爪の方が破壊力ありそうである。
香椎宮7 香椎宮8 香椎宮9
どうですか?頭部が小さい狛犬様です 御神木 綾杉 S字の造形へと成長した枝(幹)も...
神門と先に見える拝殿は、朱色の柱に白壁とめでたい紅白に彩られ、辺りまで明るい雰囲気である。神門左右から伸びる社殿を囲う塀(内部は回廊)があり、さらには本殿を囲う塀が神域を固めている。邪悪な存在はなかなか近づけまい。
私が訪れているときには、お日柄が良いのか赤ちゃんのお宮参りや、婚礼儀式などが執り行われていた。婚礼の儀式にはもちろん紋付袴に白無垢の和服姿が似合う空間である。さすがに、ここでウェディングドレスはないだろう…たぶん。
また奉納物として不思議なものがある。戦艦攝津【せっつ】の砲身である。佐世保鎮守府【ちんじゅふ】(海軍の機関)より大正12年に奉納されたもの。摂津は明治45年に竣工した河内級戦艦の二番艦として呉で建造された弩級【どきゅう】戦艦だったが、大正10年のワシントン条約により武装解除が求められ、その際に撤去された砲身が奉納されたのでは、という説がある。
香椎宮10
香椎宮11 さて、香椎宮と言えば名水「不老水」が有名である。なんで不老水かといえば、時の大臣が天皇・皇后に献上する御飯を炊くために利用した水で、自分もこの湧き水で食事や酒造りに用いていたそうだが、なんとその大臣は300歳とも360歳ともいわれる長寿だったというからだ。その驚くべき脅威の年齢を重ねたのは、武内宿禰【たけうちのすくね】といい、御食津大神(みけつのおおかみ)、高良玉垂神(こうらたまたれのかみ)と同神である。久留米高良大社の主祭神として有名だが、ここ香椎宮境内にも武内神社として社が建立されている。不老水の紹介はこちら
不老水へと続く参道(不老水までは300m程離れている飛び地境内)を一旦下ると、古宮と呼ばれるお宮の跡がある。仲哀天皇橿日宮蹟【かしひのみやあと】である。先述した熊襲平定時(または新羅編遠征の拠点)に作られた仮宮の後で、“かしひのみや”が今日の香椎宮の語源とされている。
香椎宮12 香椎宮13 香椎宮14
奉納された砲身、不思議な光景ではある 不老水へと続く参道、この先に古宮がある ここが仲哀天皇橿日宮蹟、建物はないようだ
初めて訪れた香椎宮。香椎の繁華街や国道3号線からそう離れてもいないのに、都会の喧騒とは遠い世界にいるかのように静かである。本殿裏手に大きな楠が茂っていたが、そのような森が残されている。都心から近くベットタウンとしては好条件の場所、香椎宮がなければ森ごと造成されていたかもしれない立地である。それだけ都市部の自然は脅かされているのだ。香椎宮がなければこの静かさを残すのはむずかしい...ことだろう(笑)
天皇が勅使を派遣する神社、勅祭社【ちょくさいしゃ】にも数えられる香椎宮(本朝四所の一つなので当然ですが)。10年に一度天皇の勅使が派遣される。前回は平成7年に派遣されたようで、次回は平成17年となる。それに合わせ勅祭記念事業として、傷みが進んでいる屋根部分の補修が行われるようだ。現在ご奉仕・浄財、すなわち寄付受付中とのこと。由緒ある香椎宮、おくゆかしい...と思われる御仁は是非とも…(笑)
香椎宮15
香椎宮16 香椎宮17 香椎宮18
神門から内部の様子 屋根部分、装飾がなされている シーズン中は菖蒲の花も色を添える

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