あじこじTOPへ
お買物厳選リンク あじこじTOPへ 県TOPへ 地方エリアページへ
K-00164-F0066
 筥崎宮 【はこざきぐう】 (福岡県福岡市東区)    site up 2003/12/08
筥崎宮1
阿蘇神社をご紹介したときから、行かねばならぬと思っていたところがあった。それは日本三大楼門について調べていたところ、鹿島神社(茨城県)とともに筥崎宮が列挙されていたからである。
筥崎宮、福岡市東区にある歴史あるお宮であり、調べたところによると日本三大八幡宮の一つに挙げられる。ちなみに日本三大八幡宮には宇佐神宮(宇佐八幡宮)、石清水両八幡宮、鶴岡八幡宮、筥崎宮(筥崎宮八幡宮)が挙げれらることが多い、おいおい4つの名前があるじゃないか、とのご指摘がありそうだが、うまくお答えすることは不可能と考える。結果としては組み合わせによって人それぞれかな、という状況。
祭神は応神天皇【おうじんてんのう】・八幡大神(神功皇后【じんぐうこうごう】)・玉依姫命【たまよりひめのみこと】。神功皇后は応神天皇の母で、玉依姫命は神武天皇の母であるそうだ。
国道3号線を福岡中心部から東区香椎方面へ走ると、右手に巨大な鳥居が見えてくる。筥崎宮の参道と交わる地点で、左手すぐのところに迫る博多湾まで参道が伸びている。表参道に鳥居は確認したところで4つあり、もっとも博多湾よりに赤い鳥居、これより先の海中もしくはどこかの島にも鳥居があるかは不明である。そして国道3号線沿いにある巨大な鳥居、続いて参道途中にある鳥居、さらには道路を越えて立つ見るからに古そうな鳥居とあって巨大な楼門とご対面となるのだ。
参道は広くいい遊び場であるように思う。それにしても国道沿いの鳥居の大きいこと。以前霧島神宮を訪れた際にも、道路前方に現れた鳥居の威圧感とでもいうのだろうか、圧倒される大きさを感じたが、ここもまた巨大なもの、だが形がどことなく丸みがあってかわいらしい。たぶん大きさに比べて柱部分が太いのがそう思わせるのかなと思う。
筥崎宮2
筥崎宮3 筥崎宮4 筥崎宮5
博多湾から最初の鳥居 海にはこのような立て札が... 長い参道、大鳥居の手前が3号線
筥崎宮6 車をとめて、参道を歩く。福岡空港から北側への離陸を行われる場合、ちょうど頭上を次々に飛行機が飛んでいく。これは神様にとっても騒がしい時代になったよねぇと思いつつ先に進む。
途中、筥崎宮と関係のある(というか同一運営かな)筥崎宮神苑花庭園が右手にある。こちらは別途ご紹介したいと思う。
さて、筥崎宮は国指定重要文化財の宝庫である。楼門手前の鳥居は「石造一ノ鳥居」として、慶長14年(1609年)に黒田長政が建立したもの。写真はないが「石燈篭1基」は観応元年(1350年)の在銘(作者名)がある大変古いもので、それをなんと天正15年(1587年)に千利休が寄進したそうだ。
著名人はまだ続く、本殿・拝殿は天文15年(1546年)、大内義隆【おおうちよしたか】による再建とある。大内義隆といえば山口地方を地盤として、山口の京と言われるほど優雅な文化と繁栄をもたらした戦国武将である。
筥崎宮7 筥崎宮8 筥崎宮9
大鳥居から進むとこの鳥居 遊ぶには十分な広さがある 筥崎宮神苑花庭園の入り口
そして日本三大楼門である楼門であるが、これは文禄3年(1594年)に小早川隆景【こばやかわたかかげ】によるもの。小早川隆景ではピンと来られないかもしれないが、小早川氏へ養子に出された毛利元就の三男であり、あの有名な3本の矢の一人である。某大河ドラマでも大活躍したことと思う。
楼門をくぐった先が境内とすれば、通常境内には入れない。どこから区別されるのかは良く分からないところだが、通常言うところの拝殿へは入れないようだ。楼門やその横の門から中を伺うと、朱に色塗られた拝殿が見える。ちょうど七五三で参拝にきていた家族をお祓いしているところだった。こういった際には通してもらえるということだろう。
さて、楼門の話に移ろうと思う。ここの楼門、見た瞬間にスカッとした気分になる。いや別に私は好戦的な性格ではない、というところは誤解なきよう(笑)
筥崎宮10
筥崎宮11 というのも、楼門に掲げられる「敵国降伏」の文字、伏敵門【ふくてきもん?】として有名なのだそうだ。「ははん、場所柄朝鮮出兵の際に掲げられたのではないか?」と思われる御仁もおられるだろう。私ももしやと思ったがそうではない。
延喜21年(921年)、神のおつげにより醍醐天皇は『敵国降伏』の宸筆【しんぴつ】(天子の自筆)によって、海外との貿易要所であったこの玄海灘近くに建立されたという。護国の要といったところだろう。その後923年に祭神を移し祀ったとされている。大宰府もそうだが、当時国を守る要所はこういった神社であることが多いようだ。
実際、蒙古襲来の際にはここで激戦が行われている。その際本宮が焼失するなど厳しい戦が垣間見れる。敵軍3万、900隻の軍艦で押し寄せたという。しかし激戦の翌日に敵船は忽然と消えていた。本宮を焼失したことによる怒りの神風、有り得るよね。
筥崎宮12 筥崎宮13 筥崎宮14
楼門横の門から中を覗く、本殿かな 御神木の筥松 静かな筥崎宮、奥には末社が祀られる
さしもの伏敵門も鳩にはかなわずといったところか、楼門は鳩被害を防ぐ為にネットが張られている。参拝に訪れて鳩の糞を頂いて帰るのは、幸運なのか不運なのか分からないが個人的にはご免被りたいので、美観を損ねるものの致し方ないところだろう。
それから気になるといえば、カメラを向けて困るときがある。楼門の全景と箱崎宮裏の木々とを一緒に写そうとすると、更に先にあるにょきりと立つマンションがアングルに入ってきてちょっとお邪魔である。別にそれで金額的被害を被るわけではないので苦情にもならないのだが、京都のように建築基準が設けてあればなぁと思うところだ。楼門でマンションを隠すようにして撮影してきた次第。都会にあるから致し方ない一面と申し上げておこう。
敷地内には東、西末社が本殿の裏手にあり、多くの神様が祀られているところである。また楼門前にはご神木筥松が祀られる。
参道には地下鉄の駅の入口がある。交通の便は良いところだ。
筥崎宮15
筥崎宮16 筥崎宮17 筥崎宮18
東末社の全景 西末社の全景 楼門からの塀が本殿と拝殿を囲む
筥崎宮19 運が湧き出る石、その名も「湧出石【わきいでいし】」なるものが敷地内にある。どんな石かと囲いを覗くと、それほど大きくない長丸い石が見えている。これを触ると運が湧き出るのだそうだ。また国の一大事には地上に姿を現すそうで、ひょっとすると蒙古襲来時には立ちはだかるように立っていたかもしれない。運はいくらでもほしいので、しっかりと撫でてきた私である。
他にも残念なことに幹途中から折れてはいるが太い幹廻りを見せる大楠や、君が代で歌われるさざれ石、また蒙古軍船の碇石【いかりいし】が置いてある。さらには春先にはニュースでよく紹介されるが紫陽花【あじさい】でも有名である。
訪れた日、大学生・写真部だろうかカメラ片手の若者を多くみかけた。三社参りでも良く名前が挙がる筥崎宮が題材なのかな、だが良い写真に運は欠かせない、湧出石を撫でて始めるが良いよとなんちゃってカメラマンは思う(笑)
筥崎宮20 筥崎宮21 筥崎宮22
大楠、主幹は折れているが大きい 湧出石、まず撫でましょう さざれ石も飾られる

 関連リンク 筥崎宮ホームページ  
   

地図はこちらから⇒  Mapfan地図へ がおおよその位置になります。
お買物厳選リンク あじこじTOPへ 県TOPへ 地方エリアページへ
K-00164-F0066
九州の情報はここでチェック!   あじこじ九州TOPへ
Click Here!