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 多久聖廟【たくせいびょう】 (佐賀県多久市)    site up 2003/11/06
多久聖廟1
聖廟【せいびょう】とは、孔子【こうし】様を祀った堂のことである。
孔子【こうし】様は中国・春秋時代(西暦紀元前771〜同403頃)の思想家であり、儒教思想(儒学)の祖とされる。実に約2500年も前にご生誕なされた御方である。

国内に現存する孔子廟では足利学校(栃木県)、閑谷学校(岡山県)についで古く、なかでも最も壮麗と言われるのがここ佐賀県多久市にある「多久聖廟」である。

国指定史跡
   (大正10年3月指定)

国指定重要文化財
   (昭和25年8月指定)
もちろん創建したのは中国人ではなく、江戸時代・佐賀藩二代藩主鍋島光茂の三男として生まれ、幼にして多久茂矩の養子となった多久茂文【たくしげふみ】公である。

貞亨【じょうきょう】3年(1686)17歳のとき、多久第四代邑主【ゆうしゅ=村主】となった茂文公は人材育成に力を入れた人物であり、東原庠舎【とうげんしょうしゃ】と呼ばれる邑校【ゆうこう】を建て、そのシンボルとして宝永5年(1708)に多久聖廟を完成させている。
多久聖廟2
多久聖廟3 多久聖廟4 多久聖廟5
敷地入口、多久茂文公の像 中国からの贈り物、孔子像 東原庠舎跡
多久聖廟6 しかし、学校のシンボルとしてなぜ孔子廟なのか?日本人がなぜ中国人を祀る堂を建立するのか?儒学とはそもそも何ぞや?と疑問の湧く御仁もおられるのではなかろうか?(私も含めて)

孔子様は、社会には礼とよぶ秩序が必要であり、それには人を思いやる仁とよぶ心が大事だと説いておられる。それにおいて儒学とは四書【ししょ】という儒教の根本経典とされる「大学【だいがく】」「中庸【ちゅうよう】」「論語【ろんご】」「孟子【もうし】」を学び、人への「思いやり」、嘘をつかない「信義」など人として最も大切だと思われる人間学の基礎を身につけること(今で言う道徳でしょうか)、であるようだ。
そもそも独自の宗教さえなかった日本の国民性から思えば、紀元前にそのような考え方を持っておられた孔子様を崇拝しても何の不思議もないのかもしれない。
良いものは良い、と同じ人間の考え方として捉え、茂文公や関わる先人たちが築き上げてきたものに現代人は感謝をしなければならないのである、と思った。

そんな理由もあってか?儒教が日本で最も盛んであった江戸時代において孔子を祀る多久聖廟は建立されたのである。
多久聖廟7
多久聖廟8 建物について少しご説明しよう。中国的な雰囲気の佇まいは写真からも観てとれると思うが、建築様式そのものは我国独自の禅宗様仏堂形式と呼ばれるものである。

色・彫刻や文様によってその雰囲気が伝わってくるが、当時の建築に携わった人たちはかなりのこだわりがあったようで中国の故事に習って建物の配置などを決めているらしい。入口南側にある仰高門【ぎょうこうもん】と呼ばれる門や門の前の池もその習いという。
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中国・彫刻文様 仰高門 中国故事に習い配置された池。
広々と配置され、静寂で緑豊かな敷地は心地よいものがある。

その他「聖廟資料館」や茂文公の建学の精神を受け継ぐ目的で新たに建てられた東原庠舎(研修施設)、お土産処などがある。

また、創建当時から続く聖廟釈菜【せいびょうせきさい】という春(4月18日)と秋(10月第3土・日)のお祭りでは廟内の建物と同じく国指定重要文化財である聖龕【せいがん】と呼ばれる孔子と4人の弟子の青銅像を拝観ができる。
日本の美と中国装飾とのコラボレーション、多久聖廟。必見であることは言うまでもなく、サザエさんの作者・長谷川町子さんがここ多久出身であることは全くの余談である。
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聖廟資料館、無料です。 現在の東原庠舎の庭 東原庠舎、研修施設で利用可能。
 関連リンク 多久市観光ガイド 財)孔子の里ホームページ
   

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