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K-00293-O0028
 慈恩の滝 (大分県日田市天瀬町)    site up 2006/08/19
慈恩の滝1
迫力の、名瀑布である。
慈恩の滝【じおんのたき】と言う。

かつて大分自動車道が全線開通していなかった頃、別府や湯布院など大分方面へ行くには、高速道路を日田ICで降りて、玖珠川【くすがわ】沿いに走る国道210号線をドライブコースとするのが通例だった。
それが平成7年(1995)3月に日田IC〜玖珠IC開通し、続いて翌年3月には玖珠IC〜湯布院IC開通したため、以来国道210号線を通ることも少なくなっていた。

慈恩の滝は、この国道210号線沿いにあって日田市天瀬町【あまがせまち】と玖珠町の境に位置する。
観覧するには国道から脇に逸れた旧道らしき道に入るとよい。

日田方面からは天ケ瀬温泉を通過し、湯ノ釣温泉を過ぎると右手に杉河内【すぎかわち】という小さな駅がある。国道210号と同様に玖珠川沿いを久留米から大分までを横断する地方線の久大本線【きゅうだいほんせん】の駅だ。(JR九州のリゾート特急「ゆふいんの森」号もこの久大本線で由布院へと向かう)
それがちょうど国道と交わる場所からすぐ右手脇道に入ると駐車スペースがあって、その先の古い橋の上から右写真のような迫力ある滝の姿を観ることができる。

慈恩の滝は万年山【はねやま】を源流とする山浦川が玖珠川に合流する地点に位置し、二段構えで落差は上段20m下段10mの合計約30mとされる。
豊かな水量が二段構えで流れ落ちる姿は迫力があり、落水によって巻き起こる水飛沫はマイナスイオンと共に気流の乗って橋の袂まで運ばれ来訪者に心地よい癒しを与えてくれる。
慈恩の滝2
慈恩の滝3 慈恩の滝4 慈恩の滝5
駐車スペースは20台程度 国道から見た感じ 久大本線をくぐったらすぐ右手へ
慈恩の滝6 また、慈恩の滝は別名を「裏見の滝」と言い、文字通り流れ落ちる滝の水を裏側から見ることが出来る(下段の滝のみ)のだが、激しい水飛沫を上げるカーテンを裏側から見るにはそれなりの覚悟が必要と思われる(少し大袈裟かな)。あえて今回は体験を控えさせて頂いたが、他に訪れていた観光客の人々は裏から見るというより、奇声を上げながら滝の裏を走り抜けるといった感じでずぶ濡れ状態(に近い)となっていた。※コケで滑るらしいので要注意

滝の周辺は規模は大きくはないが親水公園っぽく綺麗に整備してある。その他、土産店や喫茶、蕎麦屋さんなどの食事処もあるのでドライブ途中の休憩場所としてはお勧めのスポットだ。
慈恩の滝7 慈恩の滝8 慈恩の滝9
瀑布の大きさが判るでしょ キャー、裏見どころじゃないでしょー 滝の下流、綺麗に整備されている
昔、この滝に住んでいた大蛇が寄生虫によって病に苦しみ近くの田畑を荒らしていたという。通りかかった旅僧がこのありさまを聞き、経によってこれを加護すると大蛇の病も癒え、以来田畑は荒らされなくなった。これに感謝した農民たちがその旅僧に寺を建立し寄進した。その寺の名は「慈恩寺」と名付けられた。その後、戦国の争乱で大分府内の領主・大友宗麟によって寺は焼討ちされ滅失し、今では滝の名前だけが残ったのである。(詳しくは下記現地案内文にて)

玖珠川の支流にはこの慈恩の滝をはじめとした6つの素晴らしい滝がある。同地ではこれを「天瀬六瀑」と呼んでいる。
暑さ厳しき折、立ち寄りだけではなく涼を求める「六瀑巡り」の旅もわるくない。
慈恩の滝10

【 現地案内文 】

慈恩の滝の由来

今からおよそ千数百年の昔、この滝壷の中に大蛇が住んでいた。或る年の麦の実る頃、夜中にこの大蛇が滝壷より這い出して麦畑の中でのたうちまわり農民の汗による麦を荒してしまいわづか一夜で近郷の麦畑はほとんど全滅に近い被害を受けその年の秋の実りの田もこの大蛇に荒され其の後数年間、田畑を荒され続けた。このため農民はホトホトこまり八方手をつくし何とか大蛇を鎮めんものと、或るときは、加持祈祷に、またあるときは、滝壷に竹網を張るなどしたがその甲斐もなく大蛇に荒され農民は食べるものもなく困窮の果て、先祖より受けついだ田畑を捨て、家を捨てる者が続出しこの地域をはなれて行ったのである。
こんな年の・・・・夏の夕暮れどき、地域を通りかかった旅僧がこのありさまを聞き、及ばづながら経の功力により大蛇を鎮めて見ようと、その夜折から登る月光の下滝しぶきのかかるあたりに座して一心に読経を続けておりますと、やがて急に滝壷に逆渦巻が起り、波の中から凄まじい形相の大蛇が姿を現わしたのである。これを見た旅僧はそのような浅ましい姿では経を聞くことは出来まい。・・「心をやわらげ、姿を変えて現われよ」と、さとした。すると大蛇は、ザブンと水中に身を沈め、しばらくしてこんどは頭だけ大きく胴体は筆の軸位に痩細り長さは二丈(7m)あまり見るもあわれな姿で水の上に現れた。旅僧は大蛇に向い法を説きながら、「何故に田畑を荒すのか」と問いただすと、大蛇は頭を胴の方に向けて曲げ舌の先で体中を舐め始めたので、旅僧は大蛇に近づき、よく見ると、鱗の間に全身虫が寄生しているのを発見した旅僧はこの大蛇をあわれに思い、その胴体の上を経文で撫でさすると、大蛇は目を細め旅僧のなすままに静かにしていて、病気もよくなりその後は一度も田畑を荒すことなく稲や麦も実り農民の喜びは大変なものであった。農民はこの旅僧のために一つの寺を建立し慈恩寺と名付け寄進した。しかし慈恩寺は戦国の争乱で大分府内の領主大友宗麟の軍により滅失したのである。


 関連リンク 日田市ホームページ 日田市観光協会天瀬支部ホームページ
   

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