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 島 原 城   (長崎県島原市)    site up 2003/06/07

天文18年(1549年)ザビエルが鹿児島に上陸して以来、キリスト教は九州近畿を中心に西日本一帯にひろがった。
その中でもっともキリスト教が発展したのがここ島原半島である。

天正15年(1587年)豊臣秀吉が出したバテレン(宣教師)追放令から端を発したキリスト教弾圧は、江戸幕府によるキリシタン禁教令(1614年)によりその激しさを増していった。

そんな時代の元和2年(1616年)、島原城の初代城主・松倉重政【まつくらしげまさ】は、ここ島原の地にやってきたのである。

島原城は元和4年(1618年)から7年余の歳月をかけ、延べ100万人の領民を動員して築かれたとされる。
築城の名手と言われた松倉重政の集大成がこの島原城と言われ、幕府からの一国一城令で近くにあった日上之江城・原城を廃城、その一部石材などを利用した安土桃山建築様式の五層天守閣をはじめ、3ヶ所に三層櫓を配置する見事な城である。
当時、4万石の所領でありながら10万石大名並みの城郭を築いたのはキリシタン信者に対する圧迫とゆくゆくはルソン(フィリピン)出陣のための根拠地とする目的だったという。

明治維新により廃城が決定した島原城は、明治7年に解体された。

現在の天守閣は昭和39年に復元されたものであり、城内はキリシタン史料や郷土・民俗資料を多数展示してある。

天守閣の最上階からは有明海を眼下に、眉山や平成新山を望むことができる。
(編集注:資料館内部は撮影禁止となっている。せめて天草四郎時貞殿の見事な肖像画と記念撮影が出来たら嬉しいと思った次第である)

重政が没し(1630年)、跡を継いだ松倉勝家は、江戸幕府時代最後の国内戦争とされる島原の乱(1637〜1638年)により、領民統治の不手際として斬首(打首)された。

写真は城内にある梅林のなかに、キリシタン領民と幕府の狭間に立たせられながらも築城に情熱を注いだ重政公と築城中に亡くなった領民を祀った祠【ほこら】である。



その他、城内には長崎平和記念像の作者であり郷土出身の芸術家・北村西望氏の作品を紹介する西望記念館、寛政4年(1792年)に起きた普賢岳の大噴火により1万5千人の死者を出したとされる「島原大変」や雲仙普賢岳の噴火活動の経緯などを紹介する観光復興記念館などがある。

写真は北村西望氏作の天草四郎時貞像。
「島原大変」絵図 天守閣から望む眉山・平成新山 観光復興記念館

島原城内へは車で入れます。

  【2013年12月1日現在】

開館時間

 09:00〜17:30

休館日

 12月29日、30日の2日間

駐車料金

 乗用車 310円

小型バス  520円   大型バス 1050円

入館料

 大人 520円

 小中高 260円
【天守閣・観光復興記念館・西望記念館、三館共通入館料】
問合せ先: 島原城天守閣事務所 TEL 0957-62-4766
 関連リンク 島原市ホームページ 島原温泉観光協会ホームページ
   

地図はこちらから⇒  がおおよその位置になります。
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