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K-00225-H0062
 清正公岩 (熊本県葦北郡芦北町)    site up 2004/07/24
清正公岩1
JR肥薩線「きゅせんどう」駅の近く、球磨村との境ぎりぎりの付近に、清正公岩【せいしょうこういわ】と呼ばれる岩山がある。
もちろん清正公とは加藤清正のことで、熊本においてその名は大人気である。朝鮮半島では、あろうことか神聖な動物と祀られる「虎」と戦ったと伝えられるなど、かなり好戦的な性格であったと思われる反面、肥後藩内の治水工事などでは知的ぶりも発揮。
そんな清正公の名前がついた岩がここ球磨川河畔に聳え立つ。高さは60mほどだろうか。当時はなかったであろうトンネルが、清正公の真下を貫いているところが“なんだかなぁ”と思わせるものの、石灰岩質特有のゴツゴツした岩肌と木々の緑が折り重なり、ちょっと立ち止まりたくなる雰囲気。球磨川下流から進んでくると、トンネルを抜けて振り返らないと分からないよ。
なぜ清正公岩なのかなぁって思っていたら、地図に載っているスポットだけのことはあり案内板があった(笑)
それによると加藤清正が、現在の人吉盆地一帯を支配していた相良氏を討伐すべくこの地にさしかかった時のこと。険しい山道に急流、行けども行けども山ばかり。こんな状況が続くのはたまらんと思ったかはおいておいて、清正公はこの岩山に登り進むべく前方を眺めたのだった。だが、目に入ってきた光景は、まだまだ山が連なっているだけ。
ここで町並みでも見えていたら、士気を鼓舞して相良氏討伐へ一気にボルテージを上げたところだろうが、まだまだ続く山を見ては兵を引き返す決断に。それはそれで「その時歴史は動いた」といった感があるポイントである...
その決断をした岩山であるから「清正公岩」となったらしい。
しかしホントのところは、清正公岩に一緒に登った参謀が、
「殿、進軍の号令をおかけください」
と申し出たところ、山々を見渡していた加藤清正が、
「イヤ」
と答えたことが由来かも。清正公イヤと清正公岩、ねっ!そう思うでしょ(編集注:思いません!!)
清正公岩2
清正公岩3 清正公岩4 清正公岩5
告川と肥薩線の鉄橋 告川と球磨川の合流点に清正公岩はある 案内板です
 関連リンク 芦北町ホームページ  
   

地図はこちらから⇒  Mapfan地図へ がおおよその位置になります。
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