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 早鐘眼鏡橋 【はやがねめがねばし】 (福岡県大牟田市)    site up 2003/08/01更新
早鐘眼鏡橋1
「目立たない橋だな、国指定重要文化財なのに」というのが第一印象である。
大きな標識ではないものの、標識はきちんと建てられている。しかし主要道から少し入った場所にあり、また樹木があることから道路からは見え難い。さらに、石橋へと続く道はご丁寧に鉄の門があって、あろうことか鍵がかかっている状態。一見どちらかのお宅か?と思ってしまいそうだ。中に入ってはいけないの?と思いつつも、すぐ脇から門をすり抜けることができるので足を踏み入れた。こんな感じで少し後ろめたいながらのご紹介である(笑)。
三池藩が延宝2年(1647年)に、農業生産性を向上させるため中国から伝えられた新しい技術を応用して建築された石橋である。石造アーチ型水路橋でこの様式では最も古い眼鏡橋で、有名な通潤橋より200年も古いから、その歴史価値は創造できるだろう。
実にこじんまりとした石橋である。長さ11.2m、幅3.15mとなっている。 この石橋が生まれる背景には、1637年の大干ばつから続く干ばつによって、農民の生活、ひいては藩の財政にも関わる事態に、なんとか農作業ができる環境を整えなければならないと急を要したことによる。
対応策として、灌漑事業を進める必要性を感じた旧三池藩の代官「平塚喜右衛門」は、大牟田川に水路橋をかけることで水田が潤うと考え、日本で初めての石造水道橋を計画した。
これまでにはない水路橋、中国の技術に学んだとは言え、中国の技術者が造るのとは違い試行錯誤であったに違いない。

写真はご覧のように鍵がかかる鉄の門である。門の中は短い距離ながらちょっとした公園風で良い感じなのだが。橋へのイタズラ等が過去にあったのだろうか...
早鐘眼鏡橋2
早鐘眼鏡橋3 やや石組みがその後の通潤橋などに比べると荒いように感じる。だが感じる程度で、不安定に見えるということはない。
早鐘地区にかかる橋だから早鐘眼鏡橋、順当な名付けである。しかし個人的にはこんな由来があっても面白いと思う。

三池藩が雇った国内の職人が、ああでもないこうでもないと思考錯誤を続けるなか、進捗は予定より大幅に遅れていた。このままでは今年の干ばつも乗り切れない。業を煮らした三池藩代官は、中国の技術者を急遽呼び寄せ建造にあたらせた。するとみるみるとくみ上がるではないか、日本の職人はあっけにとられ、ぽろりと「はやがねぇ(早かねぇ)」と呟いた・・・

どうだろう、皆様にもその光景が浮かんだのではないだろうか(編集注:また勝手に由来作ってるな)
橋の上部である。
石橋そのものから受けるイメージより、水路はずっと繊細さが感じ取れ、構成する石はかなり丹念に作られている、そう感じる。
三方を板石で作られた深さ33cm、幅45cmの用水路が設けられており、早鐘池(近くの池でしょうね)から西の方の村や田畑へ水を送るために造られた。きっとこの橋のおかげで潤う土地が開けたに違いない。この成功の話題が各地に広がり、そして人間らしい特性か、より大きく、より大量にという感情によって有名な通潤橋へと発展できた、そういう歴史の流れがあったのではないかと思う。
しかしいくら干ばつのためとはいえ、水田を潤すためにこのような橋を架けるとは、当時の三池藩としてはかなりの投資だったに違いない。年貢のための投資といえばその通りなのだろうが、環境の整備に力を注いでいる公共投資の姿である。
それに比べ最近は、年貢(税金)が少ないなら取り立て料を増やせという政策ばかり、年貢が増えるようにまずは環境を潤す政策が先だよね、と早鐘眼鏡橋は言っているようだ。私はそう解釈してこの地を去った。
早鐘眼鏡橋4

 関連リンク 大牟田市役所 大牟田観光協会
   

地図はこちらから⇒  Mapfan地図へ がおおよその位置になります。
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