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 織幡宮 【おりはたぐう】 (福岡県宗像市)    site up 2003/09/30
織幡宮1
宗像で神社と言えば誰もが声を揃えるほど全国的に有名な「宗像大社」であるが、同じ宗像の地に九州ではゆかりの深い武内宿祢【たけのうちすくね】を祀った神社がある。
その名を「織幡宮」と言い、熊襲【くまそ】平定や新羅(朝鮮半島)遠征で古代の女英雄・女傑として有名な神功皇后【じんぐうこうごう】と武内宿祢が軍船に立てる赤白の軍旗をこの地で織ったとされることがその名の由来とされる。

余談ではあるが、神功皇后は紙幣肖像に採用された唯一の女性人物(最近二千円札に採用された紫式部以外)であり、武内宿祢に至っては過去5回も採用されるほど人気のある人物である。
織幡宮は、かつて玄海灘のなかでも特に航海の難所とされた鐘崎の鐘ノ岬に位置し、異族襲来・海浜守護のためここに鎮座されたという。それを考えれば武人・武内宿祢、航海神・住吉大神、志賀大神が祀られていることは納得する。現在の社殿は元禄八年(1695)造立、拝殿は元禄十六年(1703)成就されたと古文書に記されているそうである。
また、宗像大社は玄海灘に浮かぶ沖ノ島の沖津宮、大島の中津宮、そして田島の辺津宮の三宮を総称して宗像大社というのだが、弘法大師が日本で最初に創建されたという真言宗最古の寺・鎮国寺とここ織幡宮を併せて宗像五社とされ、古くから朝廷の尊崇【そんすう】が厚かったそうだ。
織幡宮2
織幡宮3 織幡宮4 織幡宮5
参道から社殿への石段 石段途中から望む鐘崎漁港 武内宿祢が昇天されたという沓塚が祀られる
織幡宮6 【本殿】

社殿は上写真の奥の鳥居からさらに階段を上った高台にある。

境内には小賀玉【おがたま】という木があり、太古より玉串にはこの木が用いられていたらしく、今では宮崎県高千穂町にある天ノ岩戸神社とここのみ残る貴重な木だそうである。
また、織幡神社の裏山一帯は特徴のある暖帯林の林相を呈しており、県指定天然記念物であるイヌマキが数十本ある他シイ、ハマビワ、ヤブニッケイ、サンゴジュ、オノオレなど数十種類の樹木が見られる。
【鐘ノ岬から望む玄海灘・地ノ島】


さらに、境内の奥から進みその暖帯林を抜けるとご覧のような玄海灘の素晴しい眺望を望むとこが出来る。但し、足元は悪くシダなどの植物が生えているので半ズボン(言い方が古いね)などで進むと草にまけたり、ヤブ蚊の猛攻にあうのでご用心だ。

また、あえて写真の掲載は控えるが見張り小屋と思える古い建造物があるので少し気味が悪く感じる。冒険心旺盛な方のみお勧めすることとしよう。
織幡宮7
織幡宮8 【海女発祥の地 鐘崎】

写真は、織幡宮の参道に建立される「筑前鐘崎海女の像」である。
ここ鐘崎は、西日本の海女発祥の地で有名であり、古くは能登、長門、壱岐、対馬などへ出稼ぎに行き、どこそこへ枝村【えだむら】が出来たそうである。
今では、海女の使用した道具は県の文化財に指定され保存されている。

この石像はその功績をたたえ、航海安全と豊漁を祈念し平成7年4月に建てられたものである。
【沈鐘と巨石】

写真は、同じく織幡宮の参道脇に設置される巨石である。
以下、現地案内転載。
昔の人は、金崎は鐘崎でここには海の向うの国から来た釣鐘が沈んでいると語りつぎ信じてきた。そして、宗像興氏や黒田長政などその権力にまかせてこの釣鐘を引揚げようとしたが失敗に終わった。ところが大正八年に山本菊次郎なる人が万金を投じてこれを引揚げることに成功した。しかし、姿を現したのは釣鐘ではなくしてこのような巨石であった。人々はがっかりしたが、いまでも本当の釣鐘は海底に沈んでいるとの思いを捨てかねている。このような話は沈鐘傳説といって諸国に例があるがここのはそのもっとも有名なものである。“沈鐘と巨石”“夢と現実”まことに面白い郷土鐘崎の物語である。
織幡宮9

 関連リンク 宗像観光協会ホームページ 宗像大社ホームページ
   

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