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 軍艦防波堤  (福岡県北九州市若松区)    site up 2004/12/01
軍艦防波堤1
「軍艦防波堤」という文字を新聞で眼にした。なんだろう?と思いよく読んでみると北九州市若松区の洞海湾入口にある響灘【ひびきなだ】臨海工業団地の一角に昔の軍艦を防波堤代わりにしているものがあるという。

これは珍しいと思い、機会があったので見に行くことにした。響灘臨海工業団地は若松運河で分断されている埋立地で、その若松運河の洞海湾側の出口(入口?)にあたる位置に軍艦防波堤があった。 戦後、大半の軍艦は戦勝国に引き渡されたり、解体されて鉄材になったりしたという。だが、一部は国内の港湾整備に利用され、ここ若松では三隻の軍艦に土砂を詰めて沈め400m程の防波堤を造ったのだそうだ。
見た目に船体と判るのは一隻のみしかなく、現地案内板には以下のように記載されていた。

<この岸壁に出ている船体は、旧日本海軍の駆逐艦「柳」です。戦後間もない昭和23年9月他の駆逐艦「冬月」「涼月」とともに、洞海湾を響灘の荒波から守る防波堤として沈められました。北側の響灘は埋め立てられ防波堤の役割は終わりましたが、今でも「軍艦防波堤」と市民に呼ばれています。「冬月」「涼月」の2艦はこの手前の護岸の中に埋没していますが、この両艦は昭和24年4月「沖縄特攻作戦」の戦艦大和の直衛艦として出撃し大破しながらも奇跡の生還を果した艦です。なお、高塔山中腹にこの3艦の戦没者慰霊碑が建立されており、詳しい説明が書かれております。>
軍艦防波堤2
軍艦防波堤3 軍艦防波堤4 軍艦防波堤5
艦体、後方から見たところ 錆朽ち果てた艦体の鉄板 若松運河の洞海湾側入口の様子
軍艦防波堤9 駆逐艦「柳」は1917年の建造、全長は約88m。第一次世界大戦では地中海に遠征するなどで活躍したという。防波堤として姿を変えた今でも周囲の防波堤よりも1mほど盛り上がっているので船の形と見てとって判る。艦首部分は荒廃が進んだのであろうと思われコンクリートで補強されているが、むき出しになった艦体の側面は赤錆が目立っている。
当時の造船技術の最高傑作と言える戦艦大和が殆ど無謀なまでの特攻作戦によって撃沈された海戦の場を同じくした駆逐艦たち(冬月・涼月)がここにあるというのは感慨深いものがある。

港湾整備に使われた軍艦は調べると日本の他の場所にもあるようだが、艦体が確認できるのはあまりないようで貴重な戦争の遺構である。ぜひとも大事に残してほしいものだ。
軍艦防波堤6 軍艦防波堤7 軍艦防波堤8
冬月・涼月が埋っている防波堤 若戸大橋と皿倉山 工場の多い洞海湾、貨物船の往来が激しい
 関連リンク 北九州市若松区ホームページ 北九州市観光協会ホームページ
   

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