|
|
蒙古襲来【もうこしゅうらい】、日本が国外から受けた初めての侵攻である。
1206年にモンゴル帝国を造ったチンギス・ハンの孫で第五代皇帝のフビライは1271年に国号を元【げん】とし、当時の南宋【なんそう:中国】を統一、高麗【こうらい:朝鮮】も服属させた。
さらには日本をも従えようと使者を送るが、鎌倉幕府・執権 北条時宗はこれを拒否した。
それにより文永11年(1274)、元の大軍が九州・博多湾に押し寄せることとなる。いわゆる文永の役【ぶんえいのえき】が勃発した。
この石垣による元寇防塁は文永の役後、蒙古の再度の襲来に備え、ここ今津から香椎までの要所に総延長20Kmにおよび築かれたものである。
国指定史跡(昭和6年3月指定)
|
|